昭和の文系少女はこんな感じでした
塾長の中学時代
こんにちは、四條畷市米崎町の学習塾 Primoです。
今回のブログは珍しく、塾長・ヨシダの個人的な話をしてみたいと思います。
サイトの「ABOUT」に書いてある通り、ヨシダは結婚して隣の大東市に引っ越すまでの30年以上を四條畷市で過ごしました。ですので、通った学校も幼稚園と大学以外は全て四條畷にある学校です。
ということで、今は閉校になってしまった四條畷市立四條畷南中学校時代の思い出を少し書いてみます。
今では立派なおばちゃん(…)の私も当時は中学生だったので、それなりに体力があったのでしょう。今思えば毎日、プチ登山でしたね。結構な坂を上がって登校していました。しかも、真面目に教科書やノートをカバンに入れていたので負荷が半端なかったです。まあ、今の中学生だと教科書の紙質が良く、重くなっている可能性が高いし、副教材も多いので「全部持ち運びしなさい」は酷かな、とは思いますが。
二次元コード付きで、音声や映像にアクセス出来たり、フルカラーの資料ページがたくさんあったり、「良かれ」と思って、創意工夫されているのに、そのせいで家庭学習に利用されていない教科書って勿体ないなぁ…と残念に思います。
当時得意だった科目は英国社と音楽、という典型的な文系少女でした。今ほど情報があふれていなかったので普通に「カラフル過ぎるまとめノート」とか作って、勉強した気になってましたね~(笑)。ちゃんとした勉強法を習得出来なかったせいで、畷高に入ったあと、超絶苦労することになりました。(今だと、こういう状態を”深海魚”と呼ぶのだそうです…)
通えるところに進学塾がなかった(…)ので、塾には行っていませんでした。かわりに某通信添削をやっていましたが、もちろん、今のようなタブレット学習ではなく、解いたら郵送するアナログな方法です。普通の添削教材の方は赤ペン先生に一言書いてもらえるのが楽しみでため込んでいても、とにかく出せる時に出しましたが、マークシートの問題が嫌いで、ほとんど提出しなかった思い出。
ですので、通信添削系でため込むお子さんの気持ちはよくわかります。
3年間で一番印象に残っている教科書掲載作品は魯迅の「故郷」。今でも載ってますよね。最後の「希望は本来有というものでもなく、無というものでもない。これこそ地上の道のように、初めから道があるのではないが、歩く人が多くなると初めて道が出来る。」という部分が好きで、社会人になってもずっと中3の国語の教科書だけはとっていたくらいです。今となっては「青空文庫」でいつでも読めるんですけども。良い時代になりました。
在学中、個性的な先生が多く在籍されていたのですが、やはり一番お世話になったのは部活(クラシックギター部)の顧問でもあったN先生。先生のおかげで歴史以外は興味が薄かった地理や公民もなんとか上位をキープすることが出来ていました。
教える立場になってみると、地理も公民も面白く、なぜあんなに興味が持てなかったのか、13歳の自分に問い詰めたいくらいですが、どのみち、自分たちが学習した時とは世界が大きく変わっています。まだソ連だったし、ドイツは東西に分かれてましたからね。鎌倉幕府が成立したのは1192年と習いましたし。社会に限ったことではないですが、常にアップデートしなければなりません。それが大変でもあり、楽しみでもあります。
とりとめのない話になってしまいました。
いじめも経験し、良い思い出ばかりではないですが、南中での3年間がその後の土台になったことは確かです。生徒さんたちにもぜひ、大切に過ごしてもらえたらと願っています。
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四條畷市米崎町の学習塾 Primo 公立小、中から畷高へ。知的好奇心を育む教室です。
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